RANKING
にほんブログ村 歴史ブログへ
NEW ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
    No Responses.

2019年10月20日

【定説】分子進化の中立説とは、どのようなものか。

●突然変異と進化の定義
個体に起こるDNA上の変化を突然変異と呼ぶ。一個体のDNA上に生じた突然変異が集団全体に広まり、DNAが種として変化しその変化がDNAに刻印される。これを進化と言う。

●ダーウィンの自然選択(淘汰)説「最適者が生存する」「強いものが生き残る」
生存に有利な変異or環境に適応した変異が、自然選択によって種に広まる。個体の生存に不利に働く突然変異は、個体の死という形で集団から除去され、広まらない。これも自然選択の結果である。表現型(目に見える身体の形態)については、今日でも正しいとされている。

●1968年木村の分子進化の中立説「もっとも幸運なものが生き残る」
確かに、目に見える形態では、突然変異のうち環境に最も適した変異が選択され、それが種全体に広まって進化が起こる。ところが、DNAや遺伝子、タンパク質といった分子レベルでは自然淘汰による進化は稀で、有利でもなく、不利でもない、中立な変異が偶然に集団に広まった結果、進化が起こる。(不利な突然変異は集団から除去され進化に寄与しない。有利な変異も無視できるほど少ない。∴集団に広まる突然変異のほとんどは中立的な変異)
中立説が登場した背景は、1960年代から隆盛した分子生物学で、アミノ酸の変化速度が推定できるようになったこと。それによって分子レベルでの変異は、目に見える形態の変異よりもはるかに速く多く起こっており、また、形態変異とは関係なく起こることがわかった。
進化におけるDNA塩基の置換え速度は、アミノ酸に変化を起こさない置換え(→形態を変化させない置換え)の方が、変化を起こす置換え(→形態を変化させる置換え)よりもはるかに速い。このように進化の過程では、形態を変異させないDNA塩基の置換えの方が、種内に大きな速度で蓄積してきたことがはっきりした。
また、タンパク質の機能上重要な部位ではアミノ酸の変化は観察されず、長い進化の過程でも不変。重要でない部位ではアミノ酸の変化が起きるが、アミノ酸が変化してもタンパク質の構造はほとんど変わらない。このように、種に広がる変異の多くは、従来の機能を保存するような中立的な変異である。これが中立説の主張である。

●中立説と自然選択説の対立~折り合い
中立説の発表当時はダーウィンの自然淘汰説全盛の時代で、有害な変異を除くとDNAに蓄積された変異の大部分は中立な変異で、それが偶然に集団に広まったいう中立説は抵抗にあったが、木村は1983年『分子進化の中立説』で中立説-淘汰説論争に終止符を打った。
現在では、中立説は自然選択説と折り合いがついている。
➀有害な変異は自然選択の力で集団から除去される。(中立説・自然選択説に共通)
②DNAに蓄積した大部分の変異は中立な変異で、それは偶然に集団に広まった変異とされる。(中立説)
③残りの僅かな有利な変異が、目で見える形態レベルの進化に寄与する。この僅かな有利な変異に自然選択が働く。(自然選択説)
※木村は「分子進化→形態進化の繋がり」を課題として後進に託したが、中立変異のうち有用・必要なものが作動して形態変異する仕組みは、未だによくわかっていない。

●中立説の傍証
①分子時計(分子進化速度の一定性)
木村が中立説を発表した当時、分子時計説が登場。例えば、アミノ酸の変化が形態の進化とは無関係に、一定の変化速度で蓄積するということは、進化生物学者にとって衝撃だった。この分子時計(分子進化速度の一定性)は、中立説で容易に説明できるのに対して、自然選択説では説明できないと考えられた。
中立説では、分子進化速度kは総突然変異率μに対する中立な突然変異の割合fに比例する。
分子進化速度k=中立な突然変異の割合f・総突然変異率μ (1)
一方、自然選択説で分子進化速度一定を説明しようとすると、集団を形成する個体の数、適応度、突然変異率など幾つもの変数があって、進化速度を一定に保つ様な変数の組合せがあるとは考えにくい。

②偽遺伝子(役立たずの痕跡的な遺伝子)
遺伝子の塩基配列からタンパク質を作る際、3組の塩基を一つのアミノ酸に対応させるが、タンパク質の情報を担う塩基配列に欠失や挿入が起こると、正常なタンパク質の情報が失われ、遺伝子は死んでしまう。塩基配列は正常な遺伝子と似ているが、途中から出鱈目めなアミノ酸の配列になる。こうした遺伝子を偽遺伝子と呼び、DNA上にたくさん存在する。偽遺伝子は遺伝子コピーの失敗作であり、完全に機能を失っているので、偽遺伝子上の突然変異は個体にとっては害にも有利にもならない。全ての変異は中立な変異ばかりである。
 また、偽遺伝子では有利な変異は何一つ起きず、全てが中立な変異ばかりで、自然選択が働かないので、自然選択説では偽遺伝子は進化しないとされる。一方、中立説では、分子進化速度は(1)式から中立な突然変異率fで決まる。偽遺伝子は有害な変異がないので(f =1)、最大のスピードで進化することになる。中立論者は偽遺伝子は最大のスピードで進化すると予想し、淘汰論者は偽遺伝子では全く進化が起きないと予言した。1980年に偽遺伝子が発見された時、中立論者は偽遺伝子の進化のスピードを計算し、偽遺伝子が最大のスピードで進化していることを発見した。こうして、偽遺伝子は中立進化の証拠となった。

【参考】「分子進化学の基礎」宮田隆
「分子進化の中立説」宮田隆
「分子進化の中立説 ~木村資生と中立説」遺伝学電子博物館

 にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List   

2019年10月18日

カンブリア紀 ~生物はいかにして「眼」を獲得したのか?~

★カンブリア紀になぜ動物たちの間に突如多彩な表現型の生物たちが現れたのか?

以下、「眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く」(リンク)を要約します。

進化に「最適な環境」や「きっかけ」が必要だったはずです。では、その「最適な環境」もしくは「きっかけ」とは何だったのでしょうか?そこにはいくつかの説があります。
(1)「酸素濃度の急激な増加」、「二酸化炭素濃度の減少」
これにより、生物がより大きなエネルギーを利用できるようになり、それがより広い地域に対応するための進化のエネルギーになったのではないか?
(2)「利用可能なリンの量が増えた」
地表から溶け出したリン酸カルシウムにより、生物の骨格の発達し、それにより進化が可能になったのではないか?
(3)「大陸棚面積の増大」
浅い海である大陸棚が広がることで光合成が可能な地域が増え、それが植物プランクトンを増やし、生物全体の絶対量や行動範囲を拡大させ、それが進化にはずみをつけた。

しかし、これらの説はどれも仮説であり、定説と言えるようなものは今まで存在していませんでした。この科学界における最大の疑問のひとつに大いなる解答を出して見せたのが、「眼」の誕生です。カンブリア紀の化石調査から、最初に眼を獲得した生物は、三葉虫の一種だと考えられています。アンドリュー・パーカー著『眼の誕生』によれば、生物が「眼」を持ったことで、進化のスピードが急激にアップし、「カンブリア紀の大爆発」に結びついた考えられています。

seri1706090602

先カンブリア時代には、競争や捕食が主要な淘汰圧になることはなかったはずですが、足場を固めつつあったことはたしかです。先カンブリア時代のエディアカラ動物は、徐々に脳を発達させつつありました。環境中の刺激や新奇なものを感知し、その情報を処理する方法を発達させつつあったのです。また、噛み砕く能力を進化させている最中で、附属肢には徐々に硬組織の萌芽が現れつつありました。

光感受性をもつ部位が、その精度を増し、しかも別個のユニットに分かれつつあったのです。個々のユニットから出ている神経がその数を増し、それにつながる脳細胞の数も増えていきました。それらの神経や脳細胞は、数を増すか、他の感覚に接続する配線や処理システムが借用されるかしていました。それと同時に、個々のユニットの覆いがふくらみ、集光力をもちはじめた。ある日、そうした変化がクライマックスに達し、複眼が形成されました。

眼が開けば動物の大きさも、形も、色もわかります。さらに、その行動も見てとれるので、逃げ足はどれくらい速いか、捕まえられるかどうかの判断もでます。動物のそのような特性は、カンブリア紀のはじめ、眼をそなえた最初の積極果敢な捕食者が地上に導入されたとたんに重要性を帯びるようになりました。そしてこの時点から、すべての動物が光に、つまり視覚に適応しなくてはならなくなったのです。

★最初の「眼」とは、どんなものだったのか?
「植物」が光に反応して向きを変えるように、単なる光に反応するセンサーの一種「光受容細胞」だったと考えられます。そして、その「光受容細胞」が精度を高めるためにより集積することで、より優秀な光感知システムができてゆきます。「眼」の出発点となったのは、光感受性のある皮膚の斑点でした。これが内側にへこみはじめ、さらにどんどん陥入して検知器を形成し、光の方向に対する感受性を増していったと考えられます。それが「眼杯」を誕生させました。そこで道は分かれます。眼杯はそこで袋小路に達し、別の道はオウムガイの窩眼へといたりました。そこでまた、今度はレンズを発達させる道へと分かれ、最終的には脊椎動物に典型的なカメラ眼へといたることになります。

眼が誕生するのは、光受容細胞が本格化して「網膜」を形成したとき、すなわち、眼の内側が神経細胞の薄い膜で覆われたときである。網膜は、そこに投影された像ならば何でも正確に検知するため、何らかの装置をつけ足して、網膜上に鮮明な像を結ぶことが肝要です。光の採り入れ口の数によって、眼は単眼と複眼の二種類に分類できます。

眼のレンズ部分が少しずつ進化することは、ごく自然にありうることと考えられます。問題はそうやって得られた光の情報を脳に伝え、それを映像へと処理する高度なシステムの誕生です。そこには、視覚以外の感覚に対する脳の進化が不可欠だったと考えられます。それこそが、「眼の誕生」にとって完成への最後のステップでした。幸にして生物の脳は確実に進化し続けていたため、高度な視覚情報の受け入れ準備はできつつあったと考えられます。そうやって成長した脳の機能に、ある時、偶然視覚情報が流れ込み、それを混乱しながらも脳がなんとか処理してしまった時、原始的な「眼のシステム」が誕生したと考えられます。

 にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List   

2019年10月14日

生体内元素転換の仕組み⇒α粒子(陽子2個+中性子2個)の結合・分離

●ケルヴランの仮説
ケルヴランはその著『生物学的元素転換』において、生体内元素転換は陽子2個+中性子2個のα粒子の結合・分裂によって元素転換すると唱えている。

α粒子とは、陽子2個と中性子2個が結合したもので、ヘリウム原子核に等しい。
放射性元素の壊変様式の一つがα崩壊。放射性元素がα粒子を放出して別の核種に転換する。特に重い元素に多く、ウラン系列やトリウム系列など超ウラン元素で観察される。

陽子でも中性子でもなく、結合したα粒子という形で放出されるのは、α粒子は陽子と中性子が結合したものにもかかわらず、あたかも一つの粒子のような安定性を持つから。
ケルヴランは、原子核の内部においてもα粒子を基本単位とする核子の集合構造が存在すると考え、自ら実験・観察した元素転換の反応形式と照合した上で、次の仮説を立てた。

α粒子を単位とする核子集合は原子核内部において、他の核子集合と比較的弱い結合をしているので、この核子集合はわずかなエネルギーで相互に結合・分離することができる。それによって様々な元素転換が可能になる、という仮説である。

●既存の原子物理学でもα粒子を基本とする核子構造は容認されており、「αクラスター(集合)構造」と呼ばれている。
宇宙ではヘリウムHe(α粒子)同士が核融合して、α粒子の整数倍の元素ができる。この核融合反応はα反応と呼ばれている。
He(2)+He(2)→ベリリウムBe(4)
Be(4)+He(2)→炭素C(6)
C(6)  +He(2)→酸素O(8)
O(8)  +He(2)→ネオンNe(10)
Ne(10)+He(2)→マグネシウムMg(12)
Mg(12)+He(2)→珪素Si(14)

●ケルヴランの生物学的元素転換の主要元素は、原子番号20のカルシウムまでの軽い元素が中心だが、α粒子の整数倍に相当する元素が、ケルヴランの生物学的元素転換の3つ回路の中でも骨格的な役割を果たしている。
1α=ヘリウムHe 3α=炭素C 4α=酸素O  6α=マグネシウムMg 7α=珪素Si 8α=硫黄S 10α=カルシウムCa
(希ガス類の5α=ネオンNeや9α=アルゴンArを除く)

特に酸素・炭素は結合・分裂することで元素転換を媒介する。
中でも、非常に安定した原子核とされている4α酸素と10αカルシウムが重要な役割を果たしているらしい。

●生体内原子転換のパターン(ケルヴランの実験と観察による)

アルカリループアルカリループの原子転換
 カリウムK+水素H=カルシウムCa
 ナトリウムNa+水素H=マグネシウムMg
 ナトリウムNa+酸素O=カリウムK
 マグネシウムMg+酸素O=カルシウムCa
アルカリ・ループは酸素と水素を媒介として四つのアルカリ元素K・Na・Mg・Caが相互に転換するもの。生物界・地質の領域に広範に観察され、動植物の代謝作用にも関与する。

ジオループジオループの原子転換
 炭素C+酸素O=珪素Si
 珪素Si+炭素C=カルシウムCa
 炭素C+炭素C=マグネシウムMg
 マグネシウムMg+水素H=アルミニウムAl
ジオ・ループは特に地質現象、岩石や土壌における元素転換と密接なつながりをもち、炭素を媒介とする反応が大きな特徴。珪素からカルシウムを生み出す。

 

バイオループバイオループの原子転換
 窒素N+酸素O=リンP
 酸素O+酸素O=硫黄S
 リンP+水素H=硫黄S
 弗素F+炭素C=リンP
バイオ・ループは有機体にとって基本的な元素が中心となる反応であり、生体における関連性も深い。また常温で気体になる元素は、分子自体が元素転換を起こすという特徴をもつ。

●佐野千遥の光合成=常温核融合説も、α粒子の結合・分離説

酸素原子内のα粒子が炭素原子核に移動して、酸素→炭素、炭素→酸素に元素転換する。その結果、化学反応では作り出し得ないCH2の構造が出現するというのが佐野説。

H2Oの酸素O→C+α粒子(陽子2+中性子2)、H2O→CH2+α粒子(陽子2+中性子2)

CO2の炭素C+α粒子(陽子2+中性子2)→酸素原子Oとなり、CO2→O+O2。

6H2O+6CO2+光→6 CH2+6O+6O2→C6H12O6(ブドウ糖)+6O2

このように、α粒子の結合・分離によって元素転換が起きるという点ではケルヴランも佐野も共通。

 

 

 にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List   

2019年10月08日

子どもの遊びは、動物進化の追体験ではないか?

子どもの遊びについて、「☆子どもにとって、遊びは最大の学習課題」「“遊び”と機能発達」に続き、「動物進化の追体験ではないか?」という興味深い説を紹介します。リンク より

****************************************************

『動物進化を追体験する子どもの遊び』雛元昌弘氏(2002.4.30)より、以下引用します。

1.子どもはなぜ遊ぶか

「子どもはなぜ遊ぶか」についての従来の学説は、「剰余エネルギー説」「気晴らし説」「本能説」「大人への準備説」「人類の進化の反復説」「般化説」「代償説」「浄化説」精神分析説」「発達説」「学習説」(M・J・エリス『人間はなぜ遊ぶか』、山田敏『遊びと教育』)などです。これらの説は、1つ1つはなるほど、と思うものの、何か、説明しきれていないものがあることを感じていました。

2.幼児期から児童期の子どもの遊びは、動物進化の追体験

これに対して、私の仮説は、「幼児期から児童期(特に、低学年期)の子どもの遊びは、人間の成長に必要な、動物進化を追体験する本能である」というものです。
この説は、「なぜ子どもは木登りが好きなのか」という考察から始まり、子どもの行動を観察した結果に基づく遊びの分類からたどりついたもので、それを、人類のDNAに残されている、魚類から両生類、鳥類、は虫類、原始ほ乳類から猿、人への進化の課程の記憶と結びつけた仮説です。これまでの遊びの学説との違いは、「人類進化の歴史の反復説」を、魚類や両生類、鳥類、は虫類、原始ほ乳類などにまで遡らせたものです。

(中略)

9.進化の歴史をたどる

人のDNAのうち、95%は人の遺伝子としては使われておらず、残りの部分には、生命誕生からの進化の情報が全て書き込まれている、といわれています。
また、人は、母親の胎内で、わずか10か月のうちに、魚から両生類、は虫類、ほ乳類の形態の変化をたどっていると言われます。
そう考えると、人は、知らず知らずのうちに、動物が進化してきた、人以前の生物の古い成長の歴史を刻んだDNAに導かれて、遊びでその跡をたどってきている可能性が十分にあります。それは、人の記憶や体験からは説明が不可能なことがらなのです。
なぜ、木登りがしたいのか、なぜ、砂遊びや泥遊びをしたいのか、空を飛びたいのか、人の進化のDNAからだけでは、説明しきれません。

10.人固有の遊び

では、子どもの遊びが全て、人以前の記憶をたどっているかというと、人固有の遊びもあります。
例えば、「おしゃべり」や「歌遊び」、「ごっこ遊び(ファンタジー、集団の役割分担)」や「ゲーム」、「火遊び」や「ままごと遊び」、「舟遊び」や「車遊び」、「玩具遊び」「道具遊び」「創作活動」「お絵描き」「楽器演奏」、「飼育や栽培」などは、人固有のものです。
子どもにとっては、これらの、人固有の「社会体験遊び」や「生活体験遊び」、「仕事体験遊び」、「技術・文化体験遊び」が重要ですが、幼児期や児童期の肉体的・精神的な形成には、それ以前の「動物遊び」がより重要なように思います。
木登りや泥遊び、水遊びなどは、決して低級な遊びではなく、人が発達の過程で必要とするより根源的な遊びではないでしょうか?

11.子どもの野外遊びの復権

今、子ども達の遊ぶ時間が塾通いやテレビなどで少なくなり、特に、野外での集団遊びの機会がなくなり、なかでも、危険と思われる水遊びや木登りなどの野外遊びの経験が減少してきています。
人が、母親の胎内の水の中で育ち、魚から両生類、は虫類、ほ乳類への形態進化をたどるように、もし、長い人類の歴史の中で、子どもが遊びを通して、魚から両生類、は虫類、ほ乳類への進化の歴史を追体験してきたとすれば、そのような遊びの機会をなんの検証もなく止めてしまう、というのは心配です。長い人の歴史の中で続けてきた子どもの遊びを、突然、危険だからと止めさせてしまう、本来、やりたい活動をできなくする、ということは、より大きな危険性があるように思います。よく考えないままに、テレビやゲームで置き換えてしまっていいのでしょうか?
そんなことが人の成長にとっては何の心配もない、ということが証明されない限り、子どもがやりたいように環境を整備すべきです。子どもの野外遊びの環境は、昭和30年代初頭の姿に戻す必要があると考えます。
今、例えば、意欲的な保育所や幼稚園、生涯学習、ボランティアグループなど、様々なところで、新しい試みが始まっています。また、小学校でも、総合的な学習時間を使った取り組みなども行われてきています。
社会全体で、子どもの野外遊びの必要性を認識し、様々な「動物遊び」(人以前の記憶をたどる遊び)」の機会や安全な環境を増やす必要があると考えます。

****************************************************

 にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List   

2019年10月06日

母系(母権)の研究1~アフリカの双分制社会

アフリカの世界観や人格観は、神と人間、老人と若者、男と女、荒野と村里、世俗組織と結社など、「双極の間の交流によって担われる全体性」を基本的なモチーフとしている。
また、栗本慎一郎著『光の都市 闇の都市』青土社によると、アフリカの古代国家の中には二つの都を持つものが多くあり、片方に男王もう片方に女王が就任している事例がある。男王が政治・軍事を女王が祭事(神事)を司っているらしい
こうした社会構造は双分制と呼ばれ、社会を構成する集団が大きく2つに分けられ、補い合っている仕組みである。
アフリカだけではなく、東南アジア、オセアニア、アメリカ大陸の諸民族の間に広く観察され、社会生活・宗教・神話などの面に際立って見られる。

「読書memo:『光の都市、闇の都市』栗本慎一郎①」から転載する。
---------------------------------------------------------------
ポランニーがいうまでもなく、未開社会には双分制と呼ばれるものがある。物理学の中にも、この地球上の人間を陽とすれば、エネルギー的に見て、宇宙のどこかに陰の個体が存在するという考える説があるが、それと同じく、政治組織から個人的な存在まで、光に対する影の如く等価の反対物があるのである。

そもそも、人間に雌雄両性があって、これが単純に光と闇だというのではない。一見したところ、人間の雌雄は、そういう意味の相互補完物ではなさそうである。性行為において、男が供犠の執行人、女が被執行人という役割配置は、相互補完というよりつよい緊張関係があるように見える。結局は、人間の両性も、性行為という死を垣間見る聖なる行為以外では、擬制の相互補完的配役を満たしている。けれども、それが、両者の合意的、相補的、互酬的な関係であるかといえば、大きな疑問が残る。生物学的には、Y染色体上にTDFという精巣決定遺伝子があって、胎児の性の分化をつかさどる。これが働くと、膣のまわりに前立腺ができて男性として生まれるのだから、間違いもなく男のもとは女である。これは進化の核心問題でもあるが、進化とは、ひょっとしてオスを突き動かし、作り出すことをきっかけとして行われることかもしれない。だから、男女は、単に二つ並んでいるようなものではないのである。

われわれの近代社会では、男女の役割は分業分担になっているが、ダホメの社会では、そのようなレベルをはるかに超えて、社会のほぼありとあらゆる場で、男女がペアになって社会組織に組み込まれていた。ダホメ王国で働くすべての全役人(男)は、首都アボメの宮殿に住む自分の闇の「影」としての女と一対にされていた。これらの女の総称としてナイエと呼ばれていたが、それぞれ対応する仕事を行う男の<母>と意識されていて、具体的な仕事をする男の役人を統率、管理したのである。

たとえば、王国支配下の海岸地方の塩業に全責任をもって統制していた役人はヨボガといったが、<ヨボガの母>すなわちヨボガノが先ずヨボガからの具体的作業に関わる報告を受け取るのである。挙句に、彼女は、塩業の実情を調査する隠密のような役人の報告をも受ける位置にあり、かかる意味で完全にヨボガを管理していたといえる。

大臣にさえも、彼の<母>がいて、<母>は彼が宮殿で報告する際にはいつも同席して、しかも上位の席に座った。まさに最高位の役人=宰相から、下は一兵卒にいたるまで、女性の「影」を背負っていたのである。男は、女の「影」を背負い、そこから世に生まれ出でて立ち働くのであろうか。

軍隊でさえ、そうであった。精強をもって知られ、19世紀末年まで、徹底的にフランス軍(といっても主軸は質の悪い傭兵隊、すなわち外人部隊だが)に抗戦し、戦闘それ自体では決して敗北したわけではなかったダホメ軍は、左右両翼に分かれ、右翼は宰相たるミンガンに指揮されるが、左翼は女ミンガンに指揮される女性軍なのだった。この女性軍は、実際、戦闘において強力で、アフリカのアマゾン軍としてフランス傭兵隊を震え上がらせた。ダホメ王国は、最後はフランスに王城を占領され敗北するが、それは虚偽の平和協定を結ばせるのに成功したフランス側のだまし討ちだったのである。19世紀末のことであった。

ところで、宮殿に住む女性たちは、大体、実際には王の妻妾だと考えていいとも言われるが、アマゾン軍5000人を除いても2000人もいたのである。全部を本当に相手にしていたら、いくら王でも身はもたないだろう。

男性軍のミンガン右翼軍より、女ミンガン左翼軍の方が上位である。女ミンガンは、軽い戦闘では男の宰相ミンガン系の軍隊に任せきりで、宮殿に居残っている。もともと、宮殿にいて管掌をするのが闇の「影」としての女性の役割だからである。だから、女性軍は近衛師団でもあって、王を守っていた。そして、当の王でさえも<母>を持っていたのである。

ダホメ人の一貫した精神的態度は、王と王権、そして王の住む首都をも双分制の拡がりの中に置いていたのである。つまり、王は一つの物理的身体でありながら、「叢林の王」と「都市の王」の二重の役割を持っていた。

「都市の王」とは、いうなれば、王自身の内部に存在する「母なる王」でもある。そして、その「母」は闇であり、影であり、突き詰めれば神話的宇宙、他界を代表する。つまり、王さえも双分制の中にあり、光と闇の対照を一個の物理的身体に体現し、かつまた自らの「影」としての<母>を持つのだが、その複雑怪奇で無限につながる投影が見えてはこないのだ。これは一体、何なのであろうか。

 にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List   

2019年10月01日

日本の古代史(縄文人・弥生人のDNA)

古代史探訪「古代史とDNA」(リンク)より引用します。

日本人の男性は1万4千年以上前から日本列島に住んでいた縄文人と、縄文時代後期及び弥生時代に江南地方(揚子江沿岸)から移住してきた弥生人にルーツを持っている。両者のDNA比率はほぼ半々で、弥生系がやや多い。Y 染色体はほとんど組換えを起こさず、父親から息子にそのまま伝わるため,男性の系譜の研究に役立てる事ができる。日本人のY 染色体は主として縄文系と弥生系からできており、この2 集団のY 染色体の違いは黒人と白人の差くらいに大きい。

日本人のY染色体は、旧石器時代から縄文時代に流入してきたC系統(4%)とD系統(40%)、縄文後期から弥生時代以降に流入してきたO系統(O1a 3%、O2a 1%、O2b 36%、O3 14%)とその他で構成されている。C系統は南洋方面とシベリア方面、D系統は日本とチベットに分布し縄文人の主系統、O系統はO1aが長江中流域(楚)、 O2a(越)とO2b(呉)が長江下流域、O3が黄河流域(漢)やアジア各方面、その他が2%ほどを占めている。弥生期に流入したものはO2bが多い。O2bは江南から大勢が逃亡し、九州北部と朝鮮南部に定着した。

東北アジア系騎馬民族(C3c)は日本列島には入ってきていませんので、DNAで判断する限り江上波夫先生の騎馬民族列島征服説は成り立たちません。
また地方別に見ますと吉備(中国地方)に特徴があります。D系統(縄文系)が19%と低く、その分O1a(楚系)が19%と非常に高く、O3(漢系)も31%と非常に高くなっています。O2b(呉系)は平均より少し低くて31%です。これは縄文時代に江南人などが有明海と吉備に大勢やってきて住みついたという説の証明になると私は考えています。有明海周辺のDNAについては目下調査中ですが、吉備と似た結果が分かれば面白いと思います。有明海や瀬戸内の吉備の自然環境が揚子江(長江)と良く似ていたから定着したのでしょうか。

縄文時代と違って弥生時代の江南人が列島へ移住してきた原因は、戦国時代における戦争の結果でしょう。紀元前473年に呉王夫差は越王勾践に破れ、呉が滅亡します。呉人は北方にある山東半島の南(徐州)方面に逃れます。越は紀元前334年に楚に滅ぼされます。越人は南方のベトナムや台湾方面に逃げるものと、北方の徐州方面に逃げるものに分かれます。越人に押された呉人は九州北部と朝鮮半島南部に逃れます。
楚は紀元前223年に秦によって滅ぼされます。秦の支配は厳しく、税や労役に耐えられなくなった越人は朝鮮半島西部に逃れます。楚人や漢人までもが朝鮮半島に逃れ、東部に住みつきます。その越人、楚人、漢人たちもやがて列島にも移住してきます。長江流域の楚人、呉人、越人は人種的には同類で黄河流域の漢人とは異なります。文化的にも大きく異なり、移動手段も南船北馬です。

全国制覇した秦も内紛と内乱で紀元前206年に滅亡。その後、楚漢戦争(そかんせんそう)が紀元前206年から紀元前202年の約5年間にわたり、西楚の覇王項羽と漢王劉邦との間で全面戦争となりました。またしても楚の敗北となり、前漢が成立。この時も楚人の一部が列島に逃れてきた事でしょう。このように江南人の列島への渡来は数百年かけて波状的にやってきました。列島内では、それぞれが争いにならないように住み分けていったと考えられます。列島の次に逃れていくところがないという環境の中で、争いは極力避けられたのでしょう。大陸での戦国時代に比べると、かなり戦いは減ったことでしょう。

列島全体として縄文人も弥生人を受け入れ共生しましたが、縄文人の一部は殺されたり山間地方に逃亡したと考えられます。言葉は縄文語を基本として弥生語の単語も取り入れて大和言葉(日本語)となったのでしょう。  DNAによると列島における楚人の比率は3%くらいと低いのですが、やはり支配力や文化程度は高く、影響力は大きかったのではないでしょうか。楚王の姓は羋(び)で氏は熊(ゆう)です。そこで、倭国における楚の影響について見ると、熊、隈、球磨、熊本、熊野、熊野神社、羽白熊鷲などの「くま」は楚の後裔が名付けたのではないでしょうか。それであれば、素戔嗚は楚系ということになるのですが…阿蘇、蘇我、熊襲、葛城襲津彦、倭迹迹日百襲姫などの「そ」は楚ではないでしょうか。

後漢に朝貢した奴国の倭人は自ら「呉の太伯の子孫」と言っています。奴国(博多)は呉人が中心の国だったのでしょう。吉備は縄文時代から住みついた江南人と、その後にやってきた呉人(姓は姫・き)や楚人(姓は羋・び)が多く住んでいるところです。吉備の名は姫羋(きび)からとったのかもしれませんね。穀物の黍(きび)という説もありますが、まだ学説は定まっていません。

 にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List   

2019年10月01日

雌雄の役割分化4~雌の生殖負担(類人猿)

京都大学霊長類研究所「人間と類人猿の子育ち・子育てについて考える」より転載。
●昆虫や魚、などでは,大量に卵を産むだけで,子育てをしない種も多い。鳥類では,親が卵を温めたり,ヒナに食物を与えたりして子育てをする。 哺乳類では,親が子どもを産んで,母乳を与えて育てる。霊長類では少ない数の子どもを産み、子どもが親にしがみついて母子が密着して生活し、 子育ての期間も長い。とくに人間に近い類人猿では,より子育ての期間が長くなり、 親子の関係性もより複雑になる。そして,飼育下の類人猿では,育児放棄や育児困難などの事例が見られることもある。

【1】テナガザルは,おとなの男性とおとなの女性がペアになって子育てをする。父親・母親・それぞれ3歳ほど年のはなれた兄弟が数人という,人間の核家族のような集団でくらしている。井上陽ーさんの観察によると、2歳半ごろまでの子どもは,母親にべったりだが,それ以降は父親に抱かれて移動したり,父親と遊んだりすることがでてくる。3歳ごろに、母親が下の子どもを産んで,その子育てに集中するようになり,兄や姉は家族とともにくらしながら,10歳ごろまでに自立するすべを身に付けていく。

【2】ゴリラは,シルバーバックとよばれるおとなの男性が1人と,複数の女性がともにくらしている。野生のゴリラの子どもは,母親のちがう同年代の仲間たちとすごすことも多い。また,子どもが父親に遊んでもらったり,守ってもらったりすることも他の類人猿に比べて多い。竹ノ下祐二さんの飼育下ゴリラの研究から,意外な母親の役割が明らかになった。母親が子どもを叱らない,つねに子どもの味方をするというのは,他の類人猿たちとあまり変わらない。ちがうのは,母親が子どもと遊ばないということだ。母親は,我が子が他の女性や父親と遊ぶなどの社会的な交渉をもつことを促すように仕向ける。母親以外のおとなは子どもと遊びたくても,子どもが自ら近づいてきて遊んでくれるのをじっと待つ。母親が見守る中で、子どもと父親が少しずつ間合いをつめていくが,あまりにもゆっくりしていて,録画したビデオを4倍速で見ないとそれが社会的交渉だということがわからないこともあるそうだ。父親と子どものきずなもあり,一時的に父親が子どもと母親から離れてくらすようになった直後は,一日中父親のほうを見にいって,ないてばかりいたそうだ。

【3】チンパンジーは複数のおとなの男性と,複数のおとなの女性が一つの群れでくらす。飼育下では,管理のしやすさから,おとなの男性が1人だけということもある。また,野生では群れの中に同年代の子どもたちが複数いるのが普通だが,飼育下では子育てをしている母親の数が圧倒的に少ない。そのため子育てのしかたを学習する機会が少なく,子どもを産んでも育児拒否をしたり、うまく授乳ができないなどの育児困難が見られたりする事例もある。しかし岸本健さんらの研究から,双子チンパンジーの一方の世話を,母親以外の女性が分担することで、2人とも無事に育った事例が確認された。

【4】ボノボでは,基本的な群れの構造はチンパンジーとほぼ同じだ。しかし,女性が偽の発情をしたり,性的行動を社会的交渉に用いたりすることで,男性間の競合が和らげられて,チンパンジーよりも平和なくらしをしている。ザンナ・クレイさんらの研究から,興味深い発見があった。ボノボがくらすコンゴ民主共和国にあるサンクチュアリでは,食肉などの目的で母親をなくしたボノボが孤児として保護されてやってくる。もともと孤児として入ってきたボノボが成長して出産し、子どもを育てる事例も増えた。孤児の子どもと,母親に育てられている子どもを比べると、母親に育てられている子どものほうが、けんかでやられた仲間をなぐさめたりする行動がより頻繁に観察されたそうだ。けんかのときになきやむまでの時間も短く,より自分の感情をコントロールできることがわかった。母親に育てられるということが,社会的な行動や情動の発達にとって重要だといえる。
オランウータン母子
図: 母親のもつ食べ物にかじりつくオランウータンの子ども。
【5】オランウータンは出産間隔が約7年と,他の類人猿に比べても長い子育て期間をもつ。2歳ごろまでは,母子がほぼ密着して生活している。オランウータンはゆるやかな地域社会をもつが,単独ですごす傾向が強い。そのため,子どもは生きていくために必要な知識や技術を,すべて母親から学ぶ必要がある。山本英実さんらの観察から,オランウータンの母子では,子どものはたらきかけに応じて母親が食物をもつ手の動きを止めるという形で,食物分配が頻繁におこる可能性も示唆されている(図)。子どもは母親との強いきずなの中で,食物レパートリーや,樹上でくらすすべや,寝るための巣を作る方法などについて, 時間をかけて学んでいく。

 にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List   

2019年09月30日

雌雄の役割分化3~雌の生殖負担(魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類)

ウィキペディア「動物の子育て」より転載。

【4】魚類
無顎類は体外受精で、親は産卵後その場を離れるため、産卵後の保護はない。カワヤツメ類では、卵を砂の中に埋め込む行動が知られている。
軟骨魚類の一部は胎生で、子は母親の胎内で育つ。ラブカやオナガザメ、アカエイなどの胚は主に卵黄の栄養に依存しているが、ホシザメの一種やウチワシュモクザメのように、胎盤状の組織を通じて栄養を子に与えるものもいる。また、胎盤状の組織がないとされるもののなかにも、アブラツノザメなど酸素や栄養が母体から供給される種もある。ラクダザメでは、卵黄が吸収されたあとは未受精卵を胎児が食べることで栄養が供給される。卵生のものは丈夫な殻に覆われた卵を産む。産卵あるいは出産後の仔魚を親が保護することはない。
硬骨魚類に見られる子育て行動は多様である。体内受精の種では、産卵までの間は必然的に母親の体内で保護されるが、さらに卵が孵化するまで体内に留まる胎生や卵胎生もシーラカンス、ウミタナゴ、グッピー等に見られる。カダヤシ科やヨツメウオ科では濾胞内で卵の発生が進むため、濾胞内妊娠と呼ばれる。ウミタナゴや、メダカの仲間であるジェニンシア科、グーデア科の受精卵は卵巣腔内で発生する。しかし卵生の硬骨魚類では、もっとも多いのはまったく保護をしない種で、とくに浮性卵を産む種類では受精後の子育てはまれである。浮性卵を産むベラ類は、産卵する時間帯や場所を選ぶことで、卵が捕食されるのを防いでいる。
沈性卵を産む魚類のなかには、卵を見張ったり、持ち運んで保護したりするものが知られている。このような世話は父親が担当することが多い。スズメダイ類やハゼ類、トゲウオ類の雄は産卵床に産み付けられた卵を捕食者から守ったり、鰭で扇いで酸素を送ったり、ゴミを取り除いたりといった行動を示す。モンガラカワハギ科やカワハギ科のなかには、母親が産卵後の卵をしばらく保護するものがいる。両親ともに保護をする種にはシクリッド科の一部やカワハギ科のヨソギなどがいる。

保育タツノオトシゴ
育児嚢が膨らんでいるタツノオトシゴ類のオス

産卵後の卵を持ち運ぶ場合は父親が行うことが多く、テンジクダイ科、コモリウオ科、ヨウジウオ科等がその例に挙げられる。運搬方法はさまざまで、体表に付着させて運ぶものや、テンジクダイ科のように卵塊を口にくわえて運ぶマウスブルーダー(口内保育魚)もいる。ヨウジウオ科のタツノオトシゴ類では雄の腹部に育児嚢が発達し、卵のみならず孵化後の仔魚もしばらくそのなかで過ごす。カミソリウオ科も同様の保護を行うが、担当するのは母親である。マウスブルーダーの中には孵化後の仔魚を保護するものもいる。
シクリッド科はとくに子育て行動が発達していることで知られる。種によって基質に産み付けられた卵や仔魚を見張って保護するものや、口内保育するものがいる。ディスカスは体表から「ミルク」を分泌して仔魚に与える。

【5】両生類
両生類のうち、無足目(アシナシイモリ類)では多くの種が卵胎生または胎生である。無尾目(カエル類)や有尾目(サンショウウオ類)ではまれだが、環境の厳しい高地に生息する一部の種は卵胎生または胎生の繁殖様式を持つ。
産卵後の卵を保護する両生類も珍しくない。オオサンショウウオ科の雄やアメリカサンショウウオ科の雌は卵の近くに留まって保護を行う。卵生の無足目や無尾類のなかにも抱卵を行うものがいる。無尾類には、雌の背中に卵が埋め込まれるピパ科や、雄の後足に卵を付着させるサンバガエル等、卵や幼生を運搬するものがいる。ダーウィンハナガエルの雄、カモノハシガエルの雌は卵を飲み込み、前者では鳴嚢、後者では胃の中でオタマジャクシが変態するまで保護する。カエル類のうち地上で産卵するものには、乾燥を防ぐための保護行動がしばしば見られる。

【6】爬虫類
爬虫類、および後に解説する鳥類と哺乳類は有羊膜類と呼ばれ、羊膜に包まれた卵を持つ。これによって胚は乾燥から保護される。これらの分類群はすべて体内受精によって繁殖する。胎生は有鱗目のトカゲ類やヘビ類のうちいくつかの系統で知られている。コモチカナヘビには種内に卵生の個体群と胎生の個体群がいる。
カメ類の母親は巣穴を掘ってそのなかに産卵するが、それ以降の保護は行わない。一部のヘビ類は落ち葉などを集めた巣に産卵する。ニシキヘビ属では、母親が積み上げた卵のうえにとぐろを巻き、孵化までの間、外敵からの防衛と温度の調節を行う。トカゲ属の雌も卵を保護する。ワニ類では母親による子育てが発達しており、卵だけでなく幼体の保護も行う。

【7】鳥類
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
いったん呑み込んだ餌を吐き戻して子供に与えるコアホウドリ

すべての鳥類は卵生である。一般的に、雛に与える餌の多い時期を繁殖期とする。ごくわずかな例外を除くほとんどの鳥類で、両親ともに卵と雛の世話をする。産卵は巣を作って行われるのがふつうで、とくにスズメ目は複雑な巣を作ることが多い。
現生鳥類のなかでも初期に分岐した系統に属するダチョウ目とシギダチョウ目、ミフウズラ類、レンカクやタマシギなど一部のチドリ目の種は例外で、父親だけが子育てをする(ただしダチョウ目のダチョウでは両親ともに行う)。産卵後の子育てを行わないのは、雌が卵を地中に埋めて放置するツカツクリ科の一部に限られる。ツカツクリ科でも、種によっては雄が卵の見張りと温度調節をするものがいる。母親だけが世話をするものにはクジャクやアズマヤドリなどがいる。
保育アメリカヒドリ
子供を引き連れて移動するアメリカヒドリ

【8】哺乳類
保育有袋類
有袋類は育児嚢の中で授乳し子供を育てる

現性の哺乳類のうち、単孔目(カモノハシとハリモグラ)は卵を産むが、残りは胎生である。カンガルーやコアラなど有袋類の子はごく初期だけ母胎内で過ごし、未熟なうちに出産される。多くの場合、その後の保護は母親の育児嚢内で行われる。その他の哺乳類は有胎盤類に属し、胎児は胎盤を通じて栄養を供給され、かなり成長してから産み出される。
哺乳類の特徴は授乳であり、卵生のものも含めてあらゆる哺乳類の母親は、子に母乳を与える。このことが、哺乳類にみられる密な親子関係を産み出していると考えられる。哺乳類では総じて母親の負担が大きいが、逆に父親が子育てに関わるのはまれである。
保育ブタ
子供たちに乳を与えるブタの母親

【9】チンパンジーの子育て
チンパンジーのうち約2例に1例は育児を拒否しており、経験不足のためといわれる、飼育下では育児訓練を行ない観察した結果、新生児は生後3週齢には母の顔を他と区別し好み、出産後すぐに「見つめあう」をする。

 にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List   

2019年09月30日

雌雄の役割分化2~雌の生殖負担(無脊椎動物・海綿・節足動物)

ウィキペディア「動物の子育て」より転載。

●概要
広義には、子の生存に適した産卵場所の探索や巣作り、栄養のある卵の生産なども子の世話と呼ぶことができるが、狭義には受精後に行われるもののみを指す。さらに狭義に、子が親の体から離れたあとに起こるもののみを意味することもある。
広義の子育ては受精より先に始まる。受精前の卵に栄養を与えるのは通常は母親だが、父親も母親に食料を与えることを通じて間接的に貢献することがあるかもしれない。産卵のための巣作りも、受精前に行われる子育ての例である。
胎生の動物では、受精後の胎児は母親の胎内で保護され、栄養を供給される。卵生の動物のうち子育てを行うものでは、産み付けられた卵を捕食者から守るなどの卵保護行動が見られる。卵を体に付着させたり、口に含んだりして運ぶものもいる。一部の動物ではさらに、出産・孵化後も子の世話を継続する。哺乳類の授乳はその一例である。
一部の動物では、ヘルパーと呼ばれる、親以外の個体が子育てに協力することがある。これを協同繁殖という。真社会性生物では、ワーカーと呼ばれる繁殖能力を持たない個体が、繁殖個体が産んだ子を世話する。

卵生と卵胎生と胎生
一般に動物は卵の形で新しい個体を形成するが、卵をそのまま体外に出すのではなく、雌の体内で孵化させ、子供の形で産む動物がある。このとき、卵の持つ栄養で子供が成長して生まれるものは卵胎生と呼ばれる。それに対して、卵から生まれた子が何らかの形で母親の体との連絡を持ち、母体から栄養などの供給を受けて成長し、十分に発育した後に生まれてくるものを胎生(たいせい)と呼ぶ。卵生および卵胎生と胎生の間には連続する様々な中間段階のものが見られ、卵生~卵胎生~胎生の間は連続変化であり、それぞれをきちんと定義することはできない。

●実例
以下では、動物の子育て行動の実例を、分類群ごとに紹介する。ただし、卵の生産や産卵場所に関しては簡単に触れるに留め、受精や産卵の後に見られる狭義の子育てを中心に解説する。

【1】無脊椎動物
大多数の無脊椎動物は産卵後の子育てをまったく行わない。子育てを行う場合、多くは母親によるもので、父親が関わることはさらに少ない。数少ない例の1つはゴカイの一種で、この種では父親が粘液でできた管のなかで抱卵する。その他の例については後述する。

【2】海綿動物
多くの海綿動物は胎生である。なかでも石灰海綿綱は全種が胎生であり、受精卵は親の中膠内に留まって胚発生を進め、幼生になってから放出される。

【3】節足動物
Skeleton shrimp / Caprellid sp.
胸部の覆卵葉に子供を抱えた甲殻類ワレカラ類のメス

保育コオイムシ
背中に卵を付着させたコオイムシ科の一種

節足動物の多くは卵生だが、昆虫には胎生のものも含まれる。その多くは卵胎生だが、ツェツェバエなどでは母親から栄養が供給される。タマバエやハチネジレバネの受精卵は母親の血体腔内で発生する。ゴキブリの一種やハサミムシの一種のように胎盤に似た構造を持つ偽胎盤胎生の種もいる。
昆虫ではカメムシ類やアザミウマ類などのなかに、母親が卵や幼虫を保護するものがいる。甲虫のキノコムシの一種の母親は、幼虫を餌のキノコに連れて行く行動を示す。ハチの仲間には母親によるさまざまな程度の保護が見られる。ベッコウバチ類やアナバチ類の一部では、雌は巣穴に餌を準備してから産卵し、その後の子育てはしないが、ドロバチなどの雌は幼虫の孵化後も餌を補給し続ける。子の餌を準備するものは甲虫にも多く、とくに動物の死体や糞を餌とするシデムシ類やコガネムシ類に見られる。これらのグループのなかには、孵化後も親が子のもとに留まるものもいる。とくにスネマガリシデムシの幼虫は、肉塊に加えて母親が口から出す液も摂取して育つ。甲虫ではほかに、食材性のクロツヤムシ科、クワガタムシ科、ナガキクイムシ科やキクイムシ科などに親が産卵・孵化後も子のそばに留まるものが多く知られており、さまざまな程度の子育て行動が見られる。父親が子育てをする例は少ないが、水生昆虫であるコオイムシ科のうち、タガメ亜科の5種では父親が植物に産み付けられた卵を世話し、コオイムシ亜科の全種ではやはり父親が、卵を体に付着させて保護する。モンシデムシ属でも、父親が母親とともに産卵後の養育を行うことがある。

保育コモリグモ
子供を背負うコモリグモ科のメス

ダニのなかにも子の防衛や給餌をする種がいる。ミツバチに寄生するミツバチヘギイタダニでは、母親がミツバチから体液を吸うための穴を適切な場所に開けることで、子に餌を与えている。ササの葉の裏に住むタケノスゴモリハダニでは、両親ともに、捕食者であるタケカブリダニから卵や幼虫を防衛する行動を示す。クモのなかには母親が卵を保護する種がある。コモリグモ科に代表される徘徊性クモの雌は、孵化するまで卵嚢を持ち歩き、孵化した子供を腹部に乗せる。大きな網を共有して集団で生活するクモでは、複数の雌が協同で孵化後の子を保護することも知られている。
甲殻類の抱卵亜目はその名前通り、母親が卵を体に付着させて保護するが、幼生は海中に放出されることが多い。フクロエビ上目の雌は育房を持ち、卵はその中で育つ。種によっては、孵化し育房を出た幼体もしばらく母親のもとに留まり、保護される。ウミグモ類では、雄が担卵肢と呼ばれる特殊化した付属肢で卵を運ぶ。

 にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List   

2019年09月30日

雌雄の役割分化1~殖産分化→精卵分化→躯体分化

「オスメス分化の塗り重ね構造」より転載。

多細胞動物の生殖系の進化のステップは、3段階。

 Ⅰ 保存と仕事の分化(殖・産分化)
 Ⅱ 精卵分化
 Ⅲ 雌雄躯体分化

Ⅰ 保存と仕事の分化(殖・産分化)
・真核倍数体生物は、保存(減数分裂システム:生殖細胞)と仕事(単純分裂システム:体細胞)へと機能を分化。これが多細胞化の起点。
・種の保存上、最も負担の大きい生殖を専門に分離することによって、体細胞系列を高度に機能分化させていくことも可能となった。
・特に動物の場合・・・動物は動いて栄養を摂るしかない⇒摂取機能の高度化⇒種間圧力上昇⇒摂取機能の高度化⇒種間圧力上昇・・・という循環的な外圧上昇構造にあり、これが、保存と仕事の分化の軸線上で、多細胞動物の進化を促進してゆくことになる。

Ⅱ 精卵分化
・精子と卵子に配偶子が分かれたのは、運動と栄養の役割分担により、受精過程(出会い)と発生過程(エネルギーを要する)の両方に適応的な形態への分化。
(※精子と卵子に配偶子が分化したのはなんで?

・さらに、受精卵の中心体が精子由来であること、その中心体は変異活性度が高いこと、またオスのみに存在する抗原タンパク質(HY抗原)の存在等を考え合わせると、精子が外圧変化に対応した何らかの変異情報を媒介している可能性が高い。(なお、中心体が独自の遺伝情報を持っているか否かは不明であるが、近年の研究ではその可能性が示唆されている)
・このように考えると、精卵分化の本質は、精子:変異配偶子と卵子:保存配偶子への分化であることが見えてくる。変異と安定の分化、これがオスメス分化の原基となる。
・これは、変異+安定の組み合わせによる、生物的に安定な生殖システムとも言える。
(※生物史から学ぶ『安定』と『硬直』の違い

Ⅲ 雌雄躯体分化
・動物の場合、精卵分化から、雌雄の躯体が固定的に分かれるようになるまで、かなり長い歴史がある。脊椎動物の系統でも魚類の段階まで、雌雄同体と雌雄異体が併存。
(※脊椎動物以前の生物はオス・メス固定度が低い

・雌雄の躯体が分化していく背景には、摂取機能の高度化⇒種間圧力上昇・・・という循環的な外圧上昇構造が前提にある。
・体細胞系列の高度化の要請と同時に、各々の配偶子、生殖巣、生殖器etcを緻密につくりあげるためには、精子をつくる躯体(オス)と卵子をつくる躯体(メス)を分化させたほうが合理的。
・また、動物ゆえの種間圧力⇒摂取能力高度化・・・に対応するため、幼体保護と防衛力上昇の要請が加わる。これは必然的に(安定性に特化した卵子を持つ)メスの生殖負担の増大、そして、それとバランスするようにオスの闘争負担が増大させる方向へつながる。これは脊椎動物の進化史とも符合する。
・これらにより、動物の雌雄の躯体は分化していったと考えられる。

★オスとは何か? メスとは何か?
・変異性の上に、闘争能力(役割)が塗り重ねられた存在=オス
・安定性の上に、生殖能力(役割)が塗り重ねられた存在=メス

生物数十億年の歴史のなかで、外圧に適応していくために、役割分担と調和が塗り重ねられてきた、それがオスとメスの分化。オスという役割(存在)、メスという役割(存在)があわさってはじめて、外圧に適応的たり得たし、種をつなぐこともできたのである。
 

 にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List