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2006年11月30日

苗(ミャオ)族って?

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日本人のルーツを調べていたら、日本人のルーツに関して面白い仮説がされていたので紹介します。それは『苗(ミャオ)族』でした。 Shocked Shocked Shocked

ことばのスクラップ『日本のルーツ? 長江文明』より引用します。

6300年前、中国の長江(揚子江)流域に巨大文明が誕生していた事が近年の発掘調査で明らかになっている。メソポタミア文明やエジプト文明と同時期かさらに古く、黄河文明よりも千年以上も早い。長江の水の循環系を利用して稲を栽培し魚を捕る稲作漁撈民であり、自然と共生する「再生と循環の文明」であった。

 4200年前に起こった気候の寒冷化によって、漢民族のルーツにつながる北方の民が南下した。彼らは畑作牧畜を生業とし、自然を切り開く「力と闘争の文明」の民であった。彼らはその武力で長江文明の民を雲南省や貴州省の山岳地帯に追いやった。これが今日の苗(ミャオ)族などの少数民族である。

 別の一派はボートピープルとなって、一部は台湾の原住民となり、別の一派は日本に漂着して、稲作農耕の弥生時代をもたらし、大和朝廷を開いた、、、

 日本人の起源に関するこうした壮大な仮説が、考古学や人類学の成果をもとに学問的に検証されつつある。これが完全に立証されれば、日本人のアイデンティティに劇的な影響を与えるだろう。今回はこの仮説に迫ってみよう。

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2006年11月29日

三内丸山遺跡に400~500人!?

山内丸山遺跡は、1992年に野球場を建設する事前調査において発見されたものだそうです。 m016
後に、この遺跡が大規模な集落跡とみられることが分かり「教科書を塗り替えてしまう遺跡だ。」として騒がれました。
※1994年には皆さんご存じの直径約1mの栗の柱が6本見つけられました。(六本柱建物跡) Shocked Shocked
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しかし、この遺跡は縄文時代における共同体社会を考えてみても、とても説明できない規模の集落になります。組織化がされていない限り統合できなかったはず・・・。

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2006年11月28日

縄文人と同化

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縄文時代の集団形態や婚姻制度を調べると,必ず和島家族論,水野家族論にヒットする。

①和島家族論では、集団婚 ⇒ 対偶婚 ⇒ 家父長制大家族 ⇒小家族 縄文時代における家族の発展の図式を提言しています。
②さらに有名な水野家族論。彼は、集落―大群―小群という重層的な群構成と部族―家族―小家族というレベルの異なる社会集団とを重ね合わせ、与助尾根における祭式を集落そのものに基盤を置く「広場祭式」、集落~大群間に基盤を置く「葬送祭式」、大群~小群間に基盤を置く「石柱・石棒・土偶祭式」の三類に分類し、集落構造と宗教構造とを一体的に説明し様とした。

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2006年11月25日

中国古代遺跡で発掘された「青い目の女神像」

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中国東北部に位置する遼寧省で、5500年前の紅山文化に属する遺跡から、青い目をした女神像が発掘されています。

モンゴロイド系人種の容貌なのに、青い目をしているのは何でだろう?
このことについて、『古代中国と倭族』(鳥越憲三郎著)に、その謎が解説されています。

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2006年11月23日

ギリシアの私有婚

ギリシアは、クレタ文明→ミケーネ文明を経て、ポリス=都市国家の時代を迎える。

(1)クレタ文明 4600~3400年前
ギリシアに先行するクレタ島の先住民文明。強力な海軍を擁し島々を支配、最古の通商航海民といわれている。女性の地位が高く、女神の方が重要であったことから、父系制に転換していても直近まで母系集団だった可能性が高い。

(2)ミケーネ文明 3600~3200年前
4000年前頃インド・ヨーロッパ語族の一派ギリシア人が本土に侵入、先住民を支配したり混血する。非常に戦闘的で、3600年前頃堅固な城壁をめぐらした王宮が成立。この頃の戦闘は英雄伝説として後世に口伝される。

(3)ポリス=都市国家(共同体国家)時代 2800~2300年前
3200年前頃ギリシア西北部からギリシア人の一派ドーリア人(原始的で素朴)が南下。ミケーネの諸王宮は破壊され、諸部族が玉突き移動する暗黒時代(3200~2800年前)の後、ポリスと呼ばれるギリシア独特の国家が成立する。それぞれが独立国家で、大きいものはアテネの30万人、スパルタの40万人、小さなものは数千人程度。

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2006年11月22日

一夫一婦制家族=ファミリーの意味

私有婚(一夫一婦制)はどのようにして登場したのであろうか?
比較的資料の残っているギリシア、ローマの私有婚を参考としたい。

私有婚(一夫一婦制)家族――排他的同棲が制度の本質的要素――を表すファミリー(family)は、ラテン諸部族間の文明時代に出現したらしい。
以下、モルガン『古代社会』より。(注)モルガンのいう文明時代とは、ギリシア、ローマに都市国家が出現する前8~7世紀頃より以降のこと。

ファミリーは、ファミュルス(famulus)、すなわち僕婢と同一の要素を含むファミリア(familia)から出たが、ファミュルスはオスカン語(南イタリア人の言葉)のファメル(famel)、すなわち奴隷(servus)から出たと推測される。
ファミリーの原義は、結婚した夫婦または彼らの子供とは何らの関係を有せず、家族の維持のために働き、そして家長の権力の下にあった奴隷や僕婢の団体と関連したのであった。

遺言におけるファミリアは、パトリモニューム(patrimonium)、すなわち相続人に承継された遺産と同義語として用いられる。それは、首長が父権のもとに妻や子および奴僕の一団を保持する新しい有機的組織体を定義するために、ラテン社会に導入されたのであった。

従って、この言葉およびその表す観念は、ラテン諸部族の厳格な家族組織より古いものではなかった。これらの家族組織は、ギリシア人とラテン人の分離以後であるとともに、畑作農耕以後および奴隷制の公認以後に現れたものである。
――以上、『古代社会』より――

どうやら氏族集団に新たに加わったよそ者である奴隷(恐らく最初は女奴隷、次第に農耕・牧畜・家事奴隷も加わってきた)を組織するための体制変革であること、そしてそこに資産継承の単位集団という意味合いが組み込まれていったようだ。
ただし、私有婚がラテン社会に起源を持つかどうかは検討を要するだろう。

 読んでもらってありがとう(^_^) by岡 ブログランキング・人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへ

2006年11月21日

日本における先土器時代(縄文以前)の集落について

 縄文以前の日本にはどのような人達が暮らしていたのだろう?

 先土器時代と呼ばれるこの時代、日本においてはナイフ形石器や細石刃を用いた人達が少なくとも約3万年前には生活していた(岩宿遺跡が有名)。

 彼らは当時地続きであったシベリアからマンモストナカイ等の大型獣を追ってやってきたらしい。なんか日本でもギャートルズのような世界が繰り広げられていたかと思うと感慨深いが、ゴン(ギャートルズの主人公)のように1家族だけが孤立して生活していたわけではない。

マンモー↓


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2006年11月19日

弥生時代の人口増から婚姻の歴史が変わった?!(その2)

縄文時代の後期(晩期)から弥生時代にかけて人工の爆発的な増加があった事は、ちょっと調べてみると様々な説で論じられていますね。
今回は、その根拠となる二つの説をもとに考えてみたいと思います。

①渡来人が大量に上陸したから。 Rolling Eyes
(「弥生時代の人口増から婚姻の歴史が変わった?!」 R.H.Tさんの記事を参照してね! m117
http://www.jinruisi.net/blog/2006/11/post_52.html
②大陸から伝来した稲作が定着したから。 Rolling Eyes

いづれも、遺跡や他国との歴史上の関わりから相互に関係しているとも考えられますが、一方で「稲作の定着の方が有力(普通)」と考える論調もあるようです。
また、人口増の背景となる集団の構成や婚姻様式が大変気になります。共同体集団である縄文人と、父系制であろう大陸渡来人との間では、どの様な接触・交わりがあったのでしょうか?

m252 m252
気になる方は続きをどうぞ・・・。↓↓↓
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2006年11月18日

弥生時代の人口増から婚姻の歴史が変わった?!

日本の昔の婚姻史を調べていると婚姻史に大きき変化をもたらした??と思われるデータがありました。それは縄文時代から弥生時代にかけて一気に人口が増加している! というものでした。 Shocked Shocked
その数は約30万人から200万人に急増していた!というもの???


なんでか?
こんな急な人口増加って何か変だな~って調べると...


【渡来人】の流れ込みが原因だった Shocked Shocked Shocked
渡来人登場展 ・大阪府立弥生文化博物館-渡来人登場

現在の年代区分によれば、周知のように縄文時代は約10,000年の年月を持っている。これに対して弥生時代は、紀元前300年紀元後300年の約600年間である。10,000年間、数千人~30万人の間を浮動していた人口は、弥生時代に約4,50万人の増加を見るのである。これは一体何を物語っているのか。温暖化に伴う自然増も勿論ある。しかし、最大の原因は「大陸からの集団での民族大移入」である。中国大陸及び朝鮮半島からの移住者達は、まず北九州に上陸し北九州各地に自分たちの集落を築いた。そして南へ東へと移動していったのだ。これは推測や憶測ではない。弥生時代の遺跡やそれに基づく各方面での研究結果が明らかにした、厳然たる「事実」である。

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2006年11月15日

北西アメリカインディアン社会で行われた「ポトラッチ」

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北西アメリカインディアン社会で行われた「ポトラッチ」は、相手を上回る「気前の良さ」を示して社会的な評判・威信・名誉の獲得を目指した儀礼的な贈与競争です(写真は現代のもの)。

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2006年11月14日

倭人(わじん)の意味?

m058 倭人(わじん)、倭国(わこく)これは日本人や日本の国をあらわす言葉です。

これは記録に残るもので、古いものには後漢の班固が撰んだ『前漢書』に「楽浪の海中倭人あり、分かれて百余国となる・・・」とあることから、少なくともA.D.25年以前(日本では弥生時代)からそう呼ばれているようです。 m162

倭人(わじん)、倭国(わこく)を誰が最初に使い出したか(名付け親)は大きく分けて2説あるようで、 m121 一つは中国人がそう呼んだと言う説(※詳しくは 『新しい日本の歴史』No12 倭人・倭国・日本・ジャパン 参照)
m122 もう一つは日本人自らそう呼んだと言う自称説(※詳しくは『歴史言語学と日本語の起源』第五話 「倭国」「倭人」の語源は何か?

人類の対象同化能力(外識機能→内識機能)から考えれば、先ずは自分以外の外の対象を捉え『様子(外識)』→『特徴(外識)』→『称号(内識)』→『名称(内識)』と内識機能によって名付けられることが自然だ思うので、私は倭人(わじん)、倭国(わこく)とは自分以外の誰かによって名付けられた=中国人によって名付けられたと言う前者が正解であると考えています。 Rolling Eyes

では、倭人(わじん)とはどんな意味があるのでしょうか?
(古代の日本人はどのように見られていたのでしょうか?) m050

ちょっと興味惹かれちゃった方、以下をポチットクリックしてね m092 m092
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2006年11月12日

6000年前;黄河中流域「仰韶文化」以前4千年の空白?

長江流域に続き、黄河流域における略奪闘争伝播の系譜を調べてみました。

「仰韶文化(6800~4500年前)の間に母系から父系に転換したらしい」というところまではわかりましたが、生産様式の変遷や民族的な系譜は殆どわかっていないようです。(るいネット『仰韶文化とその周辺の黄河文明の補足』参照)

中国でも自ら≒『漢民族』の出自解明がブームのようですので、当ブログでも父系転換以前の約4千年の空白を埋めるべく追求していきましょう!(by nandeyanen)

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地図の拡大図はこちら
『古代で遊ぼ>黄河流域の初期文化』より、6000年前頃の状況を見ると・・・・・

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2006年11月09日

結婚をまとめるのは女の仕事?

みなさん、古代中国やインドなど、インターナショナルかつ考古学的な感じですね Very Happy わたしは、かなり地理的にも年代的にも身近な、日本の離島の婚姻についてのお話をご紹介したいと思います。

本日、たまたま見つけたのは、山口県の見島という離島の結婚のお話。

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見島(みしま)は、山口県萩市に属する島。面積 7.73km、人口約1200人。 南側にある本村地区、北側にある宇津地区の2つからなり、本村の北側・払子には航空自衛隊の基地がある。見島郡に所属していたが明治29年(1896年)4月1日阿武郡に編入された。(Wikipediaより)

出典は、「わたしの見島」(原一男監督)というドキュメンタリー映画のために、スタッフが行ったフィールドワークをまとめた、「CINEMA塾」テキストリンクです。

続きを読みたい方は、↓をクリックしてからどうぞ m027

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2006年11月07日

狩猟部族の勇士婚はアメリカ原住民に見られる

狩猟部族の“勇士婿入り婚”の事例がはっきりしなかったが、アメリカ原住民の対偶婚から勇士婚が存在したことが伺えます。

モルガン(『古代社会』1877年)は、採集・漁労部族=南方モンゴロイドの兄妹婚→交叉婚を原始の婚姻制としており、人類500万年のうちの99%以上を占める極限時代の首雄集中婚や、狩猟部族=北方モンゴロイドの勇士婚の系統を考慮していない。

(注)交叉婚、勇士婚とも母系だが、全男子が全女子と通婚する兄妹婚→交叉婚(氏族の異なる男女の組み合わせで移籍なし)の系統か、
首雄(族長)やその資格を一段下に拡張した勇士のみが、全女子と通婚する首雄集中婚→勇士集中婚(勇士婿入り婚)の系統かで、異なる。

ヨーロッパ人の世界侵略の過程で現存していた原始婚姻制がポリネシア等の兄妹婚または交叉婚だったことや、極限時代は乱婚(全員婚)と考えたことから、両者の区別を捨象し交叉婚の系統だけを措定したと思われます。

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2006年11月06日

貿易・通商は略奪闘争を経て始まった

現在に繋がる貿易や通商の始まりと、交易の始まりは何か断層があるように感じます。

交易の始まりの時点では、部族間でお互いに必要となるものを補完しあう、助け合うための行為ではないかと思われますが、貿易・通商では、少しでも有利な取引とするように駆け引きが前提としてあり、互いの私益の妥協点として取引が決まっていく関係なのではないでしょうか。

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2006年11月04日

雲南省ハニ族の「稲魂信仰」


長江流域の少数民族社会には「稲魂(いなだま)信仰」がひろく伝えられています。その中から美しい棚田で知られる雲南省ハニ族の「稲魂信仰」を紹介します。

ハニ族の人口は約144万人。  
主に雲南省南西部の礼社江下流、紅河西側の哀牢山岳地帯に分布しています。

ハニ族の稲作に関係する行事は、日本の稲作の祭りと多くの共通点をもっています。

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2006年11月03日

インダス文明の先住人ムンダ人やドラヴィダ人は母系集団?

Shocked インダス文明の都市国家ってこんな感じ↓ Shocked
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モヘンジョ・ダロの復元図

都市の概要は、
m257 レンガで築かれた全長200メートルの波止場が築かれている
m257 約4.8キロメートルの矩形をしていて、5階建てのビルに匹敵する高さの城塞があっ
  た
m257 城寒のなかには大きな穀物倉庫、儀式用の大広間、宗教儀式に関係していたと考
  えられる大浴場があった
m257 市街地が碁盤の目のように走り、大小の道路が東西南北に走っていた
m257 道路の両側にはレンガ造りの住宅や商店が並んでいた
m257 通りに面する側の壁には窓がなく、後ろの路地から出入りするようになっていた

その後、(モヘンジョダロに残る大洪水のあとから・・・)何回もの洪水によって、どこかの土地に移住した???

この時代にして、すごい技術だ!と思った人↓↓
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2006年11月02日

南インドの「生き神」

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彼女は、「生き神」です。 Rolling Eyes

南インドには、男尊社会のインドにあって、女神信仰が残存している地域です。
そこでは、

1.南インドに於ける『神』は、人間が生きる現実空間と同一平面上に存在しえる、
  と考えられており、それが「生き神」を受容する背景となっている。
2.その背景には、ひとつのベクトルによる時間と空間の捉え方によっては把握しきれ
  ない、循環し続ける『蛇の時間』を思考の根っことして根付かしている。
3. 『蛇の時間』は、女性性を示しており、それが女性、特に少女に女神が憑依するも
  の、として理解される基盤となっている。

南インドのキーワードとしては、『女神』『蛇』が挙げられます。 Rolling Eyes

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2006年11月01日

恩恵と畏怖、日本の自然の二つの顔

略奪と闘争を繰り返してきたヨーロッパにあっては、自然もまた征服、制圧の対象だったようです.。
大昔から既に壊滅的な森林破壊が行われてきた事などもそのあらわれと言えると思います。

それに対して、日本人の自然観は共存と調和。
森羅万象すべてに神を見る、といった意識は既に縄文人から備わっていた様です。
そしてこの意識は、集団の統合様式にも如実に表れています。

自然との共存、この背後には自然からの豊かな恩恵 m270 がありますが、それだけではなく、恐ろしく抗しがたい自然現象 m007 m008 m009 もまたその対象でした。
日本の自然は、この恩恵と畏怖、二つの顔を見事に持ち合わせています。
そしてこの事がとて重要だったようです。

森と人の地球史」からの抜粋です。 m207 m207

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