2008年05月18日
「死と再生」~共同体社会の死生観
naotoさんの『わたしの死』に引き続き、日本人の死生観を考えてみます。
西洋のキリスト教文化圏では、死は個人が生きた歴史の消滅として捉えられ、その人が生きた証しを保障するのは唯一全知全能の神として考えられているようです。
一方日本では、少なくとも江戸時代から第二次世界大戦まで「個人が死んでもその人が生きている間に残した足跡が次の世代に受け継がれていけば、その個人がこの世に生きた証しとなる」と考えられたようです。
現在において『わたしの死』が不安とともに意識される背景には、かつての村落共同体や「家」の解体が背景にあるのは確かだと思われます。
- Permalink
- by sachiare
- at 19:07
- Comments (2)
- Trackbacks (0)






<母系社会を営むモソ人の食生活は自給自足である。僻地にあり豊かな土地でないとしても、それは集団としての当然のありようである。生活必需品を他集団とやり取りすること、交易に依存することはありえない。