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2007年12月23日

セム語の起源を比較言語学により探る

セム系部族社会の形成調査機関ビシュリ山系北麓ケルン墓サーベイで、セム系部族社会が紹介されていますが、戦争の起源父系社会の起源を探る意味でも、中東(西アジア)の初期遊牧文化を解明する事は、重要な意味を持つものだと思います。

未だ未解明な部分の多い初期遊牧民と思われるセム系部族社会ですが、北メソポタミア山麓地帯の南方・ジャジーラ地方から、東と西に展開したセム系部族社会の形成過程を、見ていくことで様々な実体が掴めてくるように思われます。

今日は、セム系部族社会の実体を掴む上で、セム系言語について、
<セム系部族社会の形成>サイトより、【比較言語学から見たセム語の起源】 池田 潤(筑波大学大学院人文社会科学研究科)
より、セム系言語の起源について、要約して紹介したいと思います。

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2007年12月20日

ビシュリ山系北麓ケルン墓サーベイ

西アジアにおける初期遊牧文化を解明する研究成果が報告されはじめている。まず、墓制に着目した藤井純夫金沢大学文学部教授の研究趣旨から。セム系遊牧部族の墓制に関する比較研究より 
(以下、抜粋)―――――――――――――――――――――――――――――
セム系部族社会の形成過程を解く鍵は、新石器時代の後半から青銅器時代にかけて成立した初期遊牧文化にある。このことは、よく知られている。しかし、この分野の研究はきわめて低調で、遺跡調査すら満足に行われていない。理由は二つ。
第一に、集落を形成する農耕民とは異なり、遊動生活を送る初期遊牧民の遺跡を確認することは、容易でないからである。
第二に、遺跡がうまく確認できたとしても、沙漠の中での調査には様々な困難が伴うからである。
そのため、セム系部族社会の原点とも言うべき先史遊牧文化(特に前・中青銅器時代の遊牧文化)の具体的な内容は今もって明らかになっておらず、定住都市・農村社会の側からの間接的な言及だけがほとんど唯一の手掛かりとなっているのである。この状況を打破しない限り、セム系部族社会の形成過程を解明することは困難であろう。

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2007年12月19日

セム系部族社会の形成調査機関

「北メソポタミア山麓地帯の南方・ジャジーラ地方から東と西に展開したセム系部族社会の形成過程を、ピシュリ山系の調査によって明らかにする。」という趣旨のもと、このブログでも何度か引用されている興味深い調査研究・発表を行なっているHPを改めて紹介したいと思います。

未だ未解明な部分の多い遊牧民族と都市成立の連関と起源ですが、その研究趣旨や活動と共に、今後のセム系部族社会の研究成果に注目です!

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2006年12月31日

年末に当たって:人類の課題

本年を締めるに当たって、当ブログを立ち上げた問題意識の一つ“何故人間だけが殺し合いをするのか?”について、本年最後(12/29)のなんでや劇場より。

哺乳類は、性闘争本能(メスの獲得をめぐるオス同士の闘い)を強化したが、あくまで個体間闘争で、かつ殺したのでは種が絶滅してしまうので、負けた方が勝者に従う敗従本能がセットされている。∴殺し合いはしない。
サルは同類間で縄張り闘争をするが、やはり敗従本能または逃避することによって殺し合いはしない。

★人間だけが殺し合いをする。何でだろうか?

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2006年11月06日

貿易・通商は略奪闘争を経て始まった

現在に繋がる貿易や通商の始まりと、交易の始まりは何か断層があるように感じます。

交易の始まりの時点では、部族間でお互いに必要となるものを補完しあう、助け合うための行為ではないかと思われますが、貿易・通商では、少しでも有利な取引とするように駆け引きが前提としてあり、互いの私益の妥協点として取引が決まっていく関係なのではないでしょうか。

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2006年10月06日

世界の暴力連鎖は、『マルツゥ』から始まる?

人類の争いの起源は、平和な狩猟採取生活から略奪を開始した,部族闘争に起源すると思われます。

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それが中東発で、紀元前3000年頃、中東地域は急激な乾燥化を迎えて、狩猟採取生活がとても困難になってきていた為です。
『セム系部族社会の形成』のサイトの中で「今日の世界は暴力連鎖のただ中にあり、その一大要因としてセム系部族社会の存在が考えられています。」と書かれてあります。

そのサイトの中にある「マルトゥの結婚」:シュメール語で書かれた粘土板には、町の外に住むマルトゥが、結局、町の有力者の娘と結婚するという物語が,書かれてあり、当時は婚姻制度がどうだったのかを,思い馳せながら読むと.......。

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2006年09月28日

遊牧の発生と気候変動

人類の婚姻形態の変化には外圧の変化⇒生産様式の転換が根幹に関わっています。中でも農耕・狩猟生産から遊牧生産への転換が、その後の人類の婚姻形態に大きな影響を与えています。9/24のなんでや劇場64~遊牧の発生と私権集団化~では、その焦点である遊牧の発生と婚姻形態の変化について詳細に扱われました。その中から、遊牧の発生の大きな要因となった気候変動について。

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約1万年前ヴュルム氷河期が終わり、西アジアではそれまでの農耕に加え、牧畜が開始されます。しかし、ほどなくミニ氷河期(8200~7800年)が訪れ、一時期寒冷化→乾燥化が進みます。このため、この地域で家畜を飼いながら農耕を営んでいた集団は(ごく一部の恵まれた地域を除いて)流浪民と化し、家畜の餌場と水場を求めて移動する“遊牧”という全く新たな生産様式に転換せざるを得なくなりました。この約8000年前の気候変動=外圧の変化に適応するために、農耕・牧畜民の中から遊牧集団は発生したのです。

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その後、再び2000年ほどの緩やかな温暖期を経て、5800年前にはじまる西アジアの急激な乾燥化によって、一気にこの地域の遊牧民は拡大・拡散し、やがて人類最初の掠奪闘争の幕が切って落とされます。

父系への転換は移動を常とする遊牧生産規範の継承のため に続く。(by笠)


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2006年09月27日

父系への転換は移動を常とする遊牧生産規範の継承のため

 9/24“遊牧部族の父系嫁取婚への転換”を扱った『なんでや劇場』に参加してきたので、気付きと感想を投稿します(文末に配布資料もアップします)。

 遊牧部族は季節変動に合せて縄張内を移動していきます。移動するのは10数人(+家畜)程度の小氏族単位ですが、移動時期や移動ルートなどは部族全体で取り決めています(草地の少ない地域では、数百キロも移動する氏族もいる)。
 この取り決めを守って集団移動を指揮することが各氏族長の最も重要な役割です。移動時期を間違うと家畜の餌草が不足します。ルートを間違うと大切な家畜が猛獣に襲われたり、餌場に辿り着けなかったり集団存亡の危機に瀕することになります。

 牧畜までの“母系婿入婚”のままだとすると、他氏族で生まれ育った“婿”がこの移動を指揮する氏族長を継承することになります。しかし他氏族で生まれ育った者が、移籍先の氏族の縄張り状況(地理・気候)に精通するにはかなりの期間がかかります。よって婿入りして来てから何年かかけて再教育する必要があります。
 これに対し、息子を生まれ育った氏族内に残し、その中で優れた者に氏族長を継承させる“父系嫁取婚”の場合は、その再教育の手間がかからず即戦力です。

 このように家畜を連れて危険な移動を伴う『遊牧という生産様式⇒移動を指揮する経験蓄積の継承課題』こそが、父系制への転換の最大要因と考えられます。

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