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2006年09月24日

「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 3

現在のモソ人の妻問い婚は、母系族外婚としての交差婚と婿入り婚が混在している。
アシャ別居婚は、昼はそれぞれの実家で生活し、夜になると男が女のもとを訪れる。
アシャ同居婚の場合は、これは妻問い関係にある男が女の家に住み、仕事にも携わる。
別居の場合でも、仕事が忙しければ女の家に数日間住み込んで仕事をすることもあるので、その間には大きな隔たりはないのかも知れない。

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中国太郎の紹介で知り合ったのが、郷の科学技術担当の役人である阿洪生である。科学技術の中心は、りんご栽培である。この土地は冬季、乾燥が激しくりんご生産には向いているのだそうだ。
彼は日本のりんご生産の技術をなんとか取り入れようと頑張っており、長野県のりんご農家の方を招いての研修に参加したらしい。
彼はアシャの家に住み込み(アシャ同居)、6人の子を育てている。長男は麗江のチベット系の医学学校に学んでおり、次男、三男はりんご栽培をしている。長女は昆明の民族学院に親元を離れて通っており、次女は麗江の師範学校に同じく通っている。三女は地元で小学生。中学に進学する希望を持っている。
彼のアシャの家には、アシャとアシャの兄と母、母の兄、そして彼とアシャの子が現在は3人、居住している。
アシャの兄と阿洪生はほぼ同年齢である。
アシャの兄は毎晩夕食を終えると自分のアシャの家に行き、翌朝日の昇る前に帰ってくる。つまりアシャ別居ということになる。
阿洪生は、役人として、また地元の知識人として永寧が経済的に発展していないことを真剣に考えているのだが、その理由の一つに、「摩梭人走婚」があるのだという。
妻問いと経済発展がどう結びつくのかわからなかったが、彼もまた優勢異文化のシステム内にいる少数民族エリートの葛藤を感じているのだろう。
母系社会を営むモソ人の村へ(遠藤耕太郎の報告)

彼らにとっての葛藤とは、走婚が部族の求心力を維持するためには、重要な意味を持つこと。個々の蓄財意識や私益拡大に動機づけられる経済的な発展を求めれば、部族としての求心力を失っていくこと(分散力となっていくこと)にあるのではないだろうか。
モソ人への共感をクリックで↓↓ (by石野)

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