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2007年04月10日

日本の婚姻通史

出自規則の転換要因のマードック説は大変面白かったです。このあたりを検証する意味でも、日本の婚姻史は参考になります。というのも世界の中でも日本は、群婚から母系氏族、そして父系制にダイナミックに転換した歴史が精緻に追跡できる、非常に希で興味深い民族だからです。どのようにして転換していったのか、シリーズでレポートしたいと思います。今日は婚姻通史を示します。参照:高群逸枝著『日本婚姻史』
原始(無土器・縄文)・族内婚―――――――┬―【群婚】群
原始(縄文・弥生)・・・族外婚―――――――┘       母系氏族

大和〔古墳〕・・・・・・妻問婚 ――――<通い>┬―【対偶婚】父系母所
飛鳥奈良平安(初)・前婿取婚 ――┬婿取婚┘   <群婚的多夫多妻遺存>
平安(中)・・・・・・・純婿取婚―――┤ <住み>  <過渡的父系氏族=氏族崩壊>
平安(末)・・・・・・・経営所婿取婚―┤
鎌倉南北・・・・・・・擬制婿取婚 ――┘

室町安土桃山江戸・・嫁取婚―――――――【一夫一婦(蓄妾)婚】父系<家父長>

明治大正昭和・・・・・・寄合婚―――――――【純一夫一婦婚】双系<個人型>

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日本の婚姻史は、群婚、婿取式(母系型)、嫁取式(父系型)、寄合式(個人型)の4段階に大別される。
群婚は、族内婚(いわゆる兄妹婚)と族外婚(交叉婚)の二期に分かれる。
婿取式婚姻は、対偶婚――1対1の結合であるが、この結合は弱く、離合不定である。群婚の延長または遺習ともみなすべき多夫多妻的現象の並存を見ることが多い――に比定され、群婚とともに原始婚の範疇に入る。
婿取婚は、古典での代表的婚姻語である「ツマドイ」(奈良ごろまでに支配的に見られる)と、「ムコトリ」(平安から鎌倉ごろまでに支配的に見られる)の二語によって表される妻問婚と婿取婚の二期に分かれる。
妻問婚=通いで夫婦別居のたてまえ。その背後にはヤカラと称する族的共同体が想定される。
婿取婚=狭義の婿取婚で妻方同居のたてまえ。その背後には両親世帯が成立する。
狭義の婿取婚は、以下の4つに細分される。
前婿取婚:大化後平安初までの過渡期における母による婿取り
純婿取:摂関政治の盛行時代、婿取儀式が中央でも地方でも見られる段階で、妻方の父が婚主
経営所婿取:院政期。自家以外のところに経営所と称する婚礼の場所を設けて妻方の手で婿取婚が行われる。その後新夫婦は新居に移って単婚世帯をいとなむ
擬制婿取:鎌倉から南北朝ごろまで。夫方の親が別宅へ避居したあとを、妻方の、または妻自身の家として擬制して婿取をするたてまえの婚姻形態。この期間の各世帯は、前の経営所婚からひきつづいて単婚世帯が多い
嫁取式婚姻は、室町ごろに表面化して確立する。「ヨメトリ」という婚姻語がこの期にあらわれる。この期で妻は完全に夫方同居となる。だから前代の単婚世帯をすてて、夫方の家父長の族中に同居する俗となる。嫁取式は夫方の家父長の手によって行われ、夫方が貰い手、妻方が呉れ手という取り引き観念のもとに、嫁は死装束を身につけ、一個の物件と化して略奪される形となる。
寄合婚は、明治維新に萌芽し、昭和憲法後に表面化してくる、近代社会の男女同権的単婚制。
本来ならば大化前の氏族制末期に表面化されなければならない嫁取婚(家父長婚)が、日本では約10世紀もおくれて室町期に表面化した。その約10世紀間、太平洋諸島や東南アジア、台湾等に見られるような原始婚を保持し、しかもそれを徐々に終局へと規則正しく経過させた。(筆者注:妻問いから前婿取→…→擬制婿取へと、妻方居住から夫方居住へ大転換していく様は、連続していて実に見事です。)
この間、女性の地位は原始的な高さ(財産、祭祀、恋愛等の諸権利において)をもち、また女性を取り巻く社会環境も、原始的な諸関係を示していた。例えば、氏族制は崩壊していたが、原理は残っており、それが嫁取婚や家父長制の顕現をおさえており、だから夫婦は別産で別墓だった。同氏でさえあれば離別した夫婦でも同じ墓地に葬られ、同じ氏寺のある隠居地に余生を送り得たが、形影相伴う相愛の夫婦でも異氏のばあいは、隠居地を異にし、墓地を異にした。
最も不思議なのは、系は父系であるのに、婚姻や家族は母系型である点で、なにかの故障で成員の分家がちょっと妨げられると、たちどころに母系型の大家族が顕現した。これに反して父系型大家族は一例もない。父系系譜と母系型家族の複合は、「父系母所型」といわれ、母系型族制の上に父系系譜がたどられている。
通史では分かりにくいところもあると思いますので、次回から一つづつ詳細に紹介します。
読んでもらってありがとう(^_^) by岡

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comments

こんにちは。レスありがとうございます。
確かに【性否定社会】と一言でくくってしまうと、本質が見えなくなってしまうかもしれませんね。
性は、皆の期待・応望の充足を高める一方、性的邪心は集団・社会・規範を否定し解体する方向に働きます。集団のおかれた状況によっては、性を批判的に捉ええなければならなかった集団もあるのではないかと思います。
性的邪心による集団や社会の崩壊を繰り返し経験する中で、性を否定的な対象として封じ込めようとする規範風土が形成されてきたののかも知れません。
思春期とは、子どもから大人への移行期であり、その過程で集団規範を身に着けてきます。大人の接し方も集団での役割も大きく変わります。
規範は、集団がおかれた外圧状況に規定されます。やはり、その集団の置かれた外圧状況をしっかり押えなければいけないですね。どんどん追求していきましょう。

  • さいこう
  • 2007年5月16日 22:42

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