2007年08月19日
母系社会:サタワル島の子育て~『子どもはみんなで育てる』
『出産・子育ては集団全体の課題』に引き続いて、妻方居住の婿入り婚をとるミクロネシア、サタワル島の母系社会の子育てを紹介します。
サタワル島の子ども達
母系社会では、血縁の結びつきが重要視されますが、実は親子の関係は必ずしも「生みの親と子」だけに限定されません。「養子」が頻繁におこなわれ、実親以外に養親をもつ子ども達が沢山います。そこには『子育てはみんなでするもの』という規範意識があるようです。
サタワル島の人々がどんな意識で、自分の子どもを「養子」に出したり、「養子」をもらい育てるのかを紹介します。
サタワル島では、産みの親以外の夫婦が子供を引き取り育てることが多くあるようです。そのとき、その夫婦に子供がいない時だけでなく、子供がいる夫婦でも子供を育てる余裕がある限り引き取って育てようとします。
1980年の調査によれば、15歳未満の子ども272人のうち、約6割は実親のもとを離れて養子に出ていたそうです。サタワル島の親たちは、実子があっても養子を欲しがるし、孫がいるのに幼児を引き取ったて育てる老女も多くいるそうです。また、親族から養子の希望があれば、実親はほどんど拒否することはないようです。
彼らが養子をもらう理由としては、
●自分の氏族をはなれ婿入りした父親に代わり、生まれた氏族で財産の管理を代行するため。父親は子どもが長子(とくに男子)であれば、その子を自分の姉妹や母のもとに養子を出す。
●多くの子を持つ親を助けるため。17人も子どもがいるある夫婦は、14人を養子に出している。(それなのに、彼らは4人の養子を育ててもいる!)
●娘だけしかいないので、息子を養子にする。娘と息子の双方を育て。「兄弟」「姉妹」としての役割をそれぞれに教えるため。
・・・など。
サタワル社会では子どもを育てない夫婦は「本当の大人」とはみなされないので、夫婦は3~4人の養子を取ることを熱望します。そして、より多く子供を育てている夫婦が周りから評価されます。
しかし、家の跡継ぎがいないからといった「家庭の事情」で養子をもらうことはありません。母系一族の女性の誰かに娘がいれば、集団の存続にはなんら問題はないからです。
(参考:『母系社会の構造』須藤健一著)
とりあえず、ここまで「養子」と呼んできましたが、サタワル島での実親と養親の子どものやりとりは、私たちがイメージする「養子」とは違うもののようです。
養親の元で暮らしている2、3歳くらいの子どもは、養母の目を盗んで実母のところへ逃げていってしまうこともあるようです。子どもにとっては親が変わるのではなく、実母と養母が出来るということでしょうか。
「養子」という言葉は、「自分の子供」という意識があって初めて成立するもの。もともと個人所有といった意識がない母系社会では、おそらく初めから「自分の子供」という意識自体がないのでしょう。だから、彼らにとって子供は『みんなの子供』であり、『子育てはみんなでするもの』なのだと思います。
一方、現在の私たちの社会では、「地域で子育て」「共同保育」などの必要性が言われながら、なかなか実現に至りませんが、その実現のヒントは母系社会の『みんなで子育て』にあるかも知れません。引き続きサタワル島の母系社会を調べてみようと思います。(@さいこう)
- by sachiare
- at 20:00



comments
>17人も子どもがいるある夫婦は、14人を養子に出している。(それなのに、彼らは4人の養子を育ててもいる!)
これには、ビックリですね。
適材適所に子供がいればよいと言う感覚は、自分の子供と言う私有意識が殆んど感じられませんよね。
日本でも、大正~昭和初期に、男の子が生まれないと親戚の3男を養子にもらうなどのことは良くあったそうです。これは子供に対する私有意識が低い以上に、「家」意識が強かった事によるようです。
現在のペット化する子育てとは雲泥の意識差があるようです。
koukeiさん、こんにちは。
>現在のペット化する子育てとは雲泥の意識差があるようです。
そうですね。
子供のとって必要な事は何か?子供を育てるとはどういうことか?など、これまでの子育てや親子関係の枠を超えて、改めて考えていかなければならないと感じています。
>その実現のヒントは母系社会の『みんなで子育て』にあるかも知れません。
そういった『みんなで子育て』って、やはり父系社会では実現できないものなのでしょうか?
確かに、父系社会の子育ってどのようなものなのでしょうか?
父系社会の中でも伝統的な生活様式を残している社会などは調べる必要がありそうですね。
ゆきさんの
>そういった『みんなで子育て』って、やはり父系社会では実現できないものなのでしょうか?
という疑問はかなりの難問で、今後我々に課された課題だと思います。
そのためにも、『みんなで子育て』が成立していた条件を取り出す必要があります。
それは第一に、母系制社会は女姉妹が代々家に残り、生産活動と子育てを共同で担い、共有財産を継承していく社会であること。つまり母系集団とは、『生産体であると同時に生殖集団』であるということです。そしてその主役は、母系でつながった女たちです。勿論、婿入りして来た男たち、および兄弟もそれぞれ役割はあります。
第二に、これら単位集団を包摂する地域社会(大集団)も、共同体として一致団結して外圧に適応していた闘争存在です。
日本の農村共同体は、単位集団が父系に転換しているので女たちの安心基盤としては弱いですが、生産体かつ生殖集団であることに変わりなく、地域社会も共同体的色彩が濃厚だったので、『みんなで子育て』ができていたのではないでしょうか。
現代は、生産体=企業、生殖=家庭というように分断され、地域社会も崩壊しているので、上記で見たような集団および地域社会をいかに再構築するかという課題になると思います。
つまり、生産体と生殖過程をどのようにリンクさせ包摂していくかという課題になり、そのためにも社会共認の形成が不可欠になると思います。
例えば、企業の保育場兼農園を農村に設け、共同作業かつ共同保育することは、一つの実現形態だと思います。