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2007年05月03日

日本婚姻史2 族内婚

日本の婚姻通史の続きで、一つづつ婚姻様式を紹介してゆきます。最初は群婚(族内婚と族外婚)のうち族内婚から。族内婚を明らかにするのは記録がなく難しいが、遺跡や遺物、遺語、招婿婚(婿入婚)から類推できる。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)
共食共婚
原始の家は後代の固定的なそれと違って、移動的な群単位の血縁集団の段階だったと考えてよかろう。縄文早期の遺跡は数個の竪穴からなり、その一つは面積約25㎡、5~6人程度の収容能力で、まだ炉の跡もなく、移動性が濃厚に見られる。
群は必然的に孤立的で、洞窟や竪穴式・平地式住居に住み、共食共婚であったろう。つまり同じ火を囲み、同じ性を分け合っていた。共食共婚こそ同族の特権であり、連帯性の基礎であるとされたのであろう。古語のヘグイは共食、イモセは兄弟姉妹間の夫婦関係を意味するが、これらは群時代の共食共婚の俗をうかがわせる。

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神前婚
togari008.jpg原始的集団は、協業や防衛等の必要から、必然的に成員の団結を求めて祭治集団化していく。自然物の豊穣を祈り、人口の増加を願い、成員の血縁性への自覚による親和を念じて、その象徴としての「生む」母神像を創作して祭り、その神前で共食共婚の例祭を執行することを不可欠の行事とした。(右写真は「縄文のビーナス」)
族内共婚の遺習は、後代では村内共婚として見られる。例えば、美濃国郡上郡東村大字祖師野の氏神の秋祭りでは、村じゅうの老若男女が夕刻から神殿に集まり、太鼓に合わせて輪を作って乱舞した。それがすむと、人妻と処女の別なく、入り乱れて共婚神事をいとなんだ。万葉集にも「人妻に吾もまじらむ、吾妻にひとも言問へ」といって神前共婚が演じられたとある。
トツギ祭というのがある。その多くは大漁とか、豊年とかを祈って行う共婚神事であって、これにはザコネ式や闇まつり式などがあり、個別的な好き嫌いを許さない共婚性を示しているが、帰着するところは、食と性に対する共産共有の意識を象徴した原始的共同体的な祭りの一種であろう。
大和国磯城郡まき向(ムク)というところでは、毎年旧正月10日に、網掛神事というのが行われていた。田一反分のわらで男根の形をつくり(これをスサノヲ神という)、同じ分量で女根をつくり(これを稲田姫神という)、神官氏子が立ち合って、トツギ神事を執行したというが、もとは氏子同士がいとなんだものを、男女の性神に委託して象徴化したものであろう。
女性発情の告知方式
月経をめぐって女性の生理は躍動し、それを身振りにあらわして男性を挑発したであろう。これが舞踏(尻振り踊り)のはじまりであったろう。
踊りは「雄取り」(ヲスの鳥などをとらえるときメスの鳥をいわゆるオトリに使うのに同じ意)から来た語であろうという説があるが、女性発情の告知方式が上のような尻振り踊りなら、この踊りが雄取りに通ずることはうなずける。(後の族外婚ではもっと誇張された雄取方式になる。)
女性自身による告知方式は第一義的に尊重されたろうが、群が発達して共同体運営の関係から祭治制が発明され、食も性も神前における規律下にいとなまれるようになると、群は女性の発情期をトして(うらなって、判断して)、一定の祭礼を行うようになったらしい。それはたぶん戸外で、共食共婚をともなう舞踏会(女性の尻振り踊りに男性も同化して)として催されたであろう。
族内婚図
原始時代の族制は、いわゆる類別組織で、性別と年齢階級が基本となっている。(「我」を中心として直系親から傍系親へ、近親から遠親へ叙述していく等親的な個別組織の後代の属性とは対照的である。)
(一)原初型
     年齢階級
性 セ(チ)――┬コ(幼児)
別 イモ(ハ)―┘
性別のイモとセには、長幼の意味はない。単に族内婚の意味、つまり後の言葉でいえば兄弟姉妹で同時に夫婦であるという意味だけである。幼児のコから成年男子をチ、同女子をハと呼んだろう。どちらも族の長老の意味にもなった。ハには母の意味が生理的にも濃厚だったろう。イモをオモと転じても母となり、接頭語のイをのぞいてモといっても母のことになった。
(二)その進んだ型
年齢階級や性別の呼称が分化して複雑となり、群内の族制が秩序だってくる。神前婚が起こったのもこの段階であろう。
                 年齢階級
          <オヤ>           <コ>
性 セ  オチ(大父)/ヲチ(小父)―― ヲノコ(ヲヒ)―┬マコ
別 イモ オハ(大母)/ヲハ(小母)―― メノコ(メヒ)―┘
オチ・オハ=後代転化して母系および父系の祖父母をいう
ヲチ・ヲハ=後代転化して母系および父系の伯叔父母をいう
ヲヒ・メヒ=実母子族の発展後転化して甥・姪の義となると想定
(三)内部の実母子族
イロハ(実母)―┬―イロセ(実兄弟)
           └―イロモ(実姉妹)
内部に実母子族(母子小家族)が認識されて、はじめて禁婚観念が族内にめばえてくる。世界的には、親世代と子世代の禁婚が第一に行われ、次に実母子族の禁婚が行われるというが、日本では親世代と子世代(つまり異世代間―おぢとめい、おばとおいなど)の禁婚は行われず、実母子族の禁婚のみが著明に見られる。これは南北朝頃まで維持された。
日本は原理的には、実母子族禁婚を除いて他に禁婚がない。この点で日本の婚姻制は族内婚型といえる。後に父系が貫徹してから、父系中心の近親婚が禁じられてくるが、それでも従兄弟姉妹は禁婚されてない。非常に強く原始の族内婚型が影響しているのである。
 読んでもらってありがとう(^_^) by岡 
 次回の族外婚をお楽しみに

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未開とされる部族にも“性否定社会”ってあるんですね。
ただ未開といっても、莫大な婚資(性的商品価値)から見て、ほぼ完全な父系私有婚に転換していると見ていいと思います。それゆえに“性(女性)否定社会”になっていったように思われます。
これに先行した西アジア・ヨーロッパがそうだし、日本も父系私有婚に転換するにつれ、その傾向は強くなります。
『日本婚姻史5 妻問婚』にあるように、群婚が崩壊し、個別婚(妻問婚)に移行しただけでも、性交は閉鎖的な室内での夜間の秘事になっていっており、すでに肯定感が薄らぎ、私有・独占→性的商品価値化の萌芽を感じます。
続編を楽しみにしています。他に調べた人もよろしく~♪。

  • 2007年5月30日 01:34

トロブリアント諸島では、その殆どが母系氏族社会だとだと思っていましたが、父系社会も存在するのですね。
しかし、どういう歴史経緯が父系社会を生んだのかor残っていたのか知りたいです。
温暖で比較的外圧が低かろう島国で、本当に成立していたのでしょうか?
人口が増えて、部族間の接触が増えた?
あと、「性否定社会」ってやっぱり気になります。
自身ではとうてい用意できない「婚資」を用意する割には、嫁に対して否定する。
子孫を残すだけなら、族内婚でも良い様な気がしますね。
また、何か分かったら報告お願いします!

  • ヨネ
  • 2007年5月31日 22:38

岡さん、コメントありがとうございます。
オセアニアには、父系社会が多い地域と、母系社会が多い地域があるようです。
外圧状況=他部族との闘争圧力が地域によって異なるようで、それが関係しているのようです。地域によって何がちがうのか?このあたりも調べて見ようと思います。

  • さいこう
  • 2007年5月31日 22:48

ヨネさん、コメントありがとうございます。
ファス族では、結婚を決めるのは、結婚する本人ではなく、親族が決めます。まず、親族が婚資を支払い、それを結婚した本人が後に親族に支払う仕組みのようです。
父系私有婚といっても、あくまで婚姻は集団課題なのでしょうね。
しかし、結婚する本人にしてみれば、勝手に相手を決められて、その上肩代わりしてもらった婚資を支払わなければならない。もしかしたら、そこに不満が生まれるのかも知れません。

  • さいこう
  • 2007年5月31日 22:58

ヨネさんへ。
紹介したファス族は、ニューギニア島に住む部族です。
ニューギニア島及びその周囲の島々(トロブリアント諸島もそれに含まれる)が「メラニシア」と呼ばれています。
ニューギニア島は大きな島なので、「高地」「高地辺縁部」「山麓部」「沿岸低地」では、気候条件・植生等が大きく違っています。また、周囲の島々もニューギニア島とは状況が異なります。
おそらく、それらの環境状況等の違いが、部族間の闘争圧力の違い(⇒集団統合様式の違い)に関連しているのではないかと思います。
各地域の環境状況や、いつ・どんな種族が・どのような状況のもとで、メラニシアを含めたオセアニア地域に移住してきたかなどを調べるることが必要ではないかと考えています。一緒に追求していきましょう。

  • さいこう
  • 2007年5月31日 23:59

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